2009年10月28日水曜日

生活リンク



いままで、ふりかえれば、自分の経験を通して、いろいろなことがありました。

お世話になった父母の葬儀、姉の葬儀や、数限りない失敗のかずかずなど・・・。そのたびに、あ~、身近に相談できて、情報を提供してくれる人がいれば、恥をかかないのにな~・・・というときがよくありました。

十数年前、亡くなった母の遺品を整理していたら、いろいろな行事やキーワードなどをメモしたノートを目にしました。思い出に・・・・とおもい、今でも残してあります。数ヶ月前、改めて、そのノートを見ました。

そこで、ピンとひらめきました。もし、母のようなノートのようなものがあって、それを活用できるものがあれば、助かるだろうな~と思いました。そして、さらに、今までの私と同じように、相談することもなく、悩んでいる人は、世の中に結構いるんじゃないかな~と考えました。(ただし、相談できない分、苦労した分は、人生のこやしにはなっていますが・・・。)

それならば・・・と思い立ち、この生活リンクを作るきっかけとなりました。

オールインワンで、すばやく自分の生活の問題や起こりえる課題について、対処できれば・・・というコンセプトで取り組んでみました。

だから、合理的なリンク分け(合理的分類)をしていません。あくまで、過去のわたしの経験をベースに関連づけて(オリジナルの時系列&イメージ分類)、つながるようにしてみました。

私のつたないコンピュータ知識と上記のような動機で、このようなリンクを作ってみました。

今後、さらに自分でも・・・あるいは将来子どもたちが見ても使いやすいものへと進化をめざし、役に立つであろう項目を折にふれて、加除修正していくつもりです。

何かひとつでも、生活のお役に立てれば、さいわいです。

2009年10月27日火曜日

釈迦が生まれたとき

唯我独尊(ゆいがどくそん)とは、釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉である。

釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれたとされるが、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)と言った、という伝説から出てきたもので、しばしば釈迦を崇める言葉として使われる。しかし、「この世で最も尊いのは自分である。なぜなら、この世に自分(という存在)は一人だけである」という誤解や誇大解釈からか、多くの人が『傍若無人』『自己中心』と同じ意味と捉えられる向きがある。


元来、天上天下唯我独尊は、釈迦が言ったのではない。釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばし)が誕生した際に言ったとされる。しかしそれが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて、のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったものである。

大唐西域記』の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、

天上天下唯我独尊

今茲而往生分已尽

という一節が記されている。現代語に訳すと「全世界で私が一番尊い」という意味である。

「天上天下唯我独尊」の意味を「全世界で私たち一人一人の人間が一番尊い」と解釈する説もあるが、経典上の根拠が全く無い説である。釈迦の誕生を伝える仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、『佛説太子瑞應本起経』卷上などがあるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、

天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之

とあり、欲界色界無色界の三界の迷界にある衆生はすべて苦に悩んでいる。私はこの苦の衆生を安んずるために誕生したから、尊いのであると言う。ところが残存するパーリ仏典はやはり大乗仏教の影響を受けており、『大唐西域記』と同じように、釈迦自身の解脱という点で尊いとしている。この利他の面で尊いとするのか、解脱という自利の面で尊いとするのかに、時代による釈迦観の違いが現れている。

さらに、「天上天下」という言葉で、仏教の立場を説いているという解釈もある。「天上」とは、世界の一切の事象をすべて神の意思であるとする、当時の「尊有論」の立場とし、「天下」を、一切の事象は偶然によって支配されていると考える「偶然論」の立場と説明する。この両極端を否定して、釈迦は真実の姿は縁起によって現象するのであると自覚したから尊いのであると説明する。

因果応報

「善い行いをすれば、感謝などの善い行いで返り、悪い行いをすれば、懲罰などの報いで返る」と、主に後者の「悪行は必ず裁かれる」という意味で使われることが多い。

仏教の解釈

釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。

仏教で通俗的に因果と言う場合には、業(ごう)思想と結びつき、自己の存在のあり方にかかわる因果性をいうことが多い。「善因楽果・悪因苦果」と言うように、人間や天人として生まれる善の結果や、地獄・餓鬼畜生として生まれる悪の結果を得るのは、前世の自己の善業あるいは悪業を原因とするという、方便(本来の教説に導くための一種の方法)としてしばしば使われる。この因果は科学的法則ではなく、われわれの行為に関するものである。すなわち、自分のやった善は善果を生み、また悪を行えば悪果が返ってくる、と教える。因果応報とも言われ、人間の行為を倫理的に規定する教説として言われたものであろう。また、因果を植物にたとえ善因を善根(ぜんこん)ということがある。なお、無貪・無瞋・無癡のことを三善根ということもある。

善因善果・悪因悪果・自因自果

因果の道理は大きく3つに分けられる。すなわち、善因善果(善を行えば、善い結果が返る)・悪因悪果(悪を行えば、悪い結果が返る)・自因自果(自分の行いの報いは、自分に返る)の3つである。また、これらを知れば当然、廃悪修善の心が起きてくるものである。原始仏典に含まれる法句経の「七仏通戒偈」には「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(もろもろの悪事をなすなかれ。もろもろの善事を行え。自分の心を清めよ。これが諸仏の教えである。)と説かれている。

過去現在因果経

過去現在因果経は、5世紀に求那跋陀羅(ぐなばつだら)によって漢訳された全4巻の仏伝経典で、釈迦の前世の善行(本生譚ジャータカ)と現世での事跡(仏伝)を記し、過去世に植えた善因は決して滅することなく果となって現在に及ぶことを説いている。

中有果(いんちゅううか)

正統バラモン教の一派に、この世のすべての事象は、原因の中にすでに結果が包含されている、とするものがある。

認識と発話(パロール)の因果関係
人間は考えるとき言葉を使って考える。認識と発話は規則的に対応して意思・行動になる。

この規則は人間の意識では変更できない。それだけに、飲酒や薬物などでその規則性・因果律を歪めたい欲望が生まれる。音楽もまた認識と発話の規則性に作用する。

認識と発話の間に因果律が在ると考えると、それが個性とか意識下・潜在意識の人格と考えられる。

2009年10月26日月曜日

平均余命

平均寿命はある集団に生まれた人間が平均して何年生きられるかの期待値であり、0歳児の平均余命であるとも言える。 具体的な計算法は、各年齢の人間の年間死亡率を求め、今年生まれた人間の人口がこの死亡率に従って毎年どれだけ死亡するかを求める。このシミュレーションでそれぞれの死亡した年齢を平均したものが平均寿命となる。

平均寿命は一般に先進国の方が開発途上国より長いが、これは発展途上国新生児死亡率が先進国よりはるかに高いことが原因と考えられる。 新生児死亡は死亡年齢の低さから平均値を大きく引き下げる働きがあるからである。 また、戦争などで一時的に若者が多く死亡した場合、一時的に平均寿命が低くなる。 若年層の死亡率がその時期だけ高くなり、同じく平均を強く引き下げることによる。

平均寿命の長さが長くなると同時に、肉体の老齢化の進み具合も小さくなっている。日本国において、かつては50歳が定年であったが、それが55歳、60歳と延長され、さらには65歳まで延長される趨勢にあるのは、そのひとつの例である。しかしながらそのスピードは平均寿命の伸びには届かず、労働人口の増加以上に非労働人口(高齢者)の増加が著しく、その生活を若年層が支えていくために負担が大きくなる傾向にある。平均寿命の延長は「老齢時代の長期化」に近い。



国別平均寿命ランキング

以下、世界保健機関WHO)の世界保健報告発表による。

2008年の統計のうち、平均寿命が80歳以上の国々は日本、スイスサンマリノオーストラリアモナコアイスランドイタリアスウェーデンスペインフランスカナダアンドライスラエルシンガポールノルウェーニュージーランドオーストリアの順で17カ国。

日本の平均寿命は82.6歳で世界一。

日本の女性の平均寿命は85.99歳で世界一。2位香港85.4歳、3位フランス84.1歳と続く。

日本の男性の平均寿命は79.19歳で世界3位。1位はアイスランドで79.4歳、2位香港79.3歳。2006年統計まで男女とも「長寿世界一」だったが、2005年には男性寿命79歳で2位だった。

平均寿命が最短なのは男性がシエラレオネ、女性がスワジランドで、それぞれ37歳。

スローライフ

生活様式に関する思想の一つで、地産地消や歩行型社会を目指す生活様式を指す。日本ではスローフード拡大解釈されて浸透した言葉だが、スローライフ・ジャパンを立ち上げた故筑紫哲也氏によると英語の翻訳ではなく日本語の造語と書いている。

1990年頃のバブル経済の時期に、ファストフードに代表される大量生産・高速型のライフスタイルや、モータリゼーションの進展による都市の郊外化が進んで行った。これに伴い、全国各地には郊外型ショッピングセンターロードサイドショップが急増し、中心市街地空洞化ドーナツ化現象)やスプロール現象が進行している。その結果、地方都市が画一的な様相を呈する傾向にある。

これに対して、有機農産物や地元産の農産物が奨励されたり(地産地消運動)、沈着型でゆっくりした生活様式を唱える動きが出たりするようになった。これをまちづくりに応用した思想は、「ニューアーバニズム」とも言われている。

日本では、スローライフ・ジャパンが中心となり掛川市、高知市、岐阜市といった中小の地方都市が、「スローライフ」を宣言している。テレビ番組では、『ザ!鉄腕!DASH!!』の「DASH村」にこの発想が見られており、福島浜通り北部に根ざした生活様式を実践している。 NPOの全国組織としては、NPO法人日本スローライフ協会(2004年9月内閣府認証、本部東京、支部各地/海外)があり、海外ではフィリピンセブ島ネグロス島マンゴー植樹をはじめて自立支援CO2削減、国内では伊豆諸島八丈島自給自足できるスローライフ(素朗来富)やスローフード(素糧風土)の実践を広めている。

三重県では、NPO法人三重スローライフ協会が3年くらい前に発足した。三重大学名誉教授の大原興太郎が理事長となって、活動を続けている。機関紙は「スローなニュースレター」を発行し、活動の報告や交流を進めている。

七五三

7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う年中行事

男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁より)。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。地方によっては男の子の3歳を行わない所もある。

現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。

尚、上方発祥の習俗としては十三詣りがあり、これも徐々に全国に広がりつつある。

旧暦の15日はかつては二十八宿鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土日・祝日に行なうことも多くなっている。北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行なう場合が多い。

3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りである。現代では行事に正装に準じた衣装(晴れ着)で臨み、洋服の場合もあるが和服の方が多い。少女(極稀に少年)は、この時に初めて化粧(厚化粧の場合が多い)をして貰う場合が多い。奇数を縁起の良い数と考える中国の思想の影響もある。

変った所では福岡県で4~5歳で「ひもとき」、7歳で「へこかき」(少年)/「ゆもじかき」(少女)(いずれもふんどしや湯文字といった成人仕様の下着を初めて身につける)を行う地区がある。

千葉県、茨城県地方では、七五三のお祝いをホテルなどで結婚披露宴並に豪華に開催する場合もある。

近世までの日本は、現在の開発途上国と同様の状況(栄養不足・健康への知識不足・貧困など)が原因で乳幼児が成人するまでの生存率はきわめて低く、その様な事から乳幼児の生存を祝う節目として定着した。男児が女児よりも早く祝うのは後継者としての意味合いもあるが、医療技術が発達する現代までは女児よりも男児の生存率が低かったためである。 また、三歳=言葉、五歳=知恵、七歳=歯を神から授かる事を感謝とする地方や、三歳、五歳、七歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている地方もある。

神社や寺への参拝が慣例となっているが、このような伝統に配慮して日本のカトリック教会でもこの時期に七五三のお祝いをミサの中で祈願している。

アンチエージング

抗老化医学(こうろうかいがく、Anti-Aging Medicine)とは積極的予防医学である。その根底は検査診断学・従来医学を含む。範囲は一般診療科目全部、運動生理学栄養学+東洋医学美容外科美容皮膚科エステ、アロマ、ハーブ、補助栄養学、代替補完医学、音楽芸術など多岐にわたる。すなわち抗老化医学とは医学・及び周辺科学をも含む究極の集学的医学で人間の本来の姿、本来の寿命、至適な状態に心身ともに持ってゆく事を目的とする医学である。

「抗老化」か「抗加齢」か

年をとるデメリットに対抗するのが抗老化医学である。「加齢」とは年を重ねる事、即ち年々1歳1歳年をとるという事実を指し、これに逆らうことは出来ない。また日本語の加齢は悪い意味でなく、年を経ることのプラス面を表すものとされる。

「老化」とは「加齢」により生じるマイナス面を表す言葉であり、年をとることによって起こりうる負の現象(=病的状態や病気につながる状態等)がすなわち老化である(しわ、しみ、動脈硬化等)。したがって1歳1歳年をとる「加齢」は防げないが老化を遅らせたりあるいは逆行させる事は可能であり、これを行う医学の総称がアンチエージングアンチ・エイジング)医学=抗老化医学である。

とある抗加齢医学のホームページでは「抗老化」と「抗加齢」というテーマで、抗加齢に関する記載がある。たとえば「発育期から衰えがあり、加齢に対する治療が必要」などの記述。しかしながら、この主張にはアンチ・エージング医学/アンチ・エイジング医学の根本にある、医学的及び文学的、あるいは哲学や倫理学を含めた「加齢」と「老化」の定義に対する理解の欠如があるとの考え方もある(医学は自然科学だけではなく広く哲学や社会学、法学など多くの要素を含んだ総合科学である。その事を忘れた医者は医科学者であってもフィジシャン、臨床医ではありえない)。

また、医学用語において「老化」が病気であると認識されている場合はある。実例をあげると遺伝子異常思春期を過ぎたころから老化が進み、40-50歳くらいで老衰で死んでしまう病気「ウェルナー症候群」の日本語病名は「早期老化症」といい「早期加齢症」とは呼ばない。ゆえに、「抗加齢」と言う表現は不自然かつ非科学的であるとの指摘がある。

新英和中辞典 第6版(研究社)によれば、「セネセンス(Senescence)」とは 「老齢、老境」という高齢であるという状況をさす用語で老化の直訳にはならない。セネセンスの同意語はAGED。それに対して「エージング(Aging)」の邦訳は「1 老齢化、老化 2 (ワインチーズなどの)熟成」となっており、用法例では「an aging society 高齢化社会、the aging process 老化作用」とある。以上を鑑みるに「加齢」に基づくマイナスの現象が「老化」なのであり、「老化」ならばともかく「加齢」とは戦う手段がないと考えるのが一般的であろう。

2009年10月22日木曜日

三本の矢



今の自分に必要なもの

統一したコンセプト

自分にしか出しえないオリジナリティー

楽しく取り組むマインド

2009年10月20日火曜日




朝方、庭から空を見たら、雲がとても美しかった。あわてて、デジカメを手にして、撮りました。自分としては、とても気に入っています。

これが、教秀ノートの第一歩となります。今、とても幸せです。

5cm四方の超小型音声翻訳デバイス『IU(アイ・ユー)』

おはようございます。😁これからは、AIに多言語を習う時代かも.... 【 書道 教秀 JAPAN 】 http://kyoushhu538.businesscatalyst.com/