2010年2月12日金曜日

火葬場にて

この間、妻の叔母さんが93歳で亡くなり、葬儀に列席しました。火葬場で待つこと1時間20分後には、わずかの骨だけになっていました。集まった方々は、終始無言でふたりずつで箸を使い、骨壺に骨を入れていました。なんとも、物質中心の方には耐えられない瞬間でした。だれもが、「いつかは自分もこうなるのか・・・」という想いにとらわれていたことと思いました。わたしも、そのひとりでした。その後、この機会を境にして、残された人生をどう生きるべきかを問い続けていました。たしか・・・こういうのを仏教では、白骨観とかいうんだと思い出しました。所詮、体は神様からの借り物にすぎないんだな~という気持ちになりました。借り物だからこそ、大事にしかも感謝して使わせていただかなくてはならないという考えに至りました。それと、今、与えられている人生を楽しんでみようかな~という想いも同時にわいてきました。

書道 奥の細道 37【 金沢 2】2008 松尾芭蕉 俳句 教秀

秋涼し 手ごとにむけや 瓜茄子 Akisuzushi tegotoni mukeya uri nasubi あきすずし てごとにむけや うりなすび   【教秀の意訳】 初秋の涼しさ、あの暑かった日々を思い返すと、なんともいえずよい季節に入りましたな~。みなさん、ここ玄松庵(げ...